ヴィンテージという価値【なぜ古いものが高くなるのか】

普通、物は古くなると安くなる。使えば傷み、傷めば価値が下がる。中古品が新品より安いのは、その当然の帰結だ。
ところが、一部の物では逆のことが起きる。デニム、革ジャン、ブーツ、ギター、時計。古いほど、使われているほど、高くなる。しかも、状態が良いから高いのではない。使われた痕跡そのものが価値になっている場合すらある。
これはかなり奇妙な現象である。なぜこうなったのかを、言葉の側からたどってみたい。
もともとはワインの言葉だった
ヴィンテージという語は、ワイン用語である。
vin はワイン、age は年齢を意味し、組み合わせてブドウの収穫年を指す言葉として生まれた。ワインの出来はブドウの品質に左右されるため、良質なブドウが穫れた年、いわゆる当たり年が明記されたものがヴィンテージ・ワインと呼ばれ、高級品として扱われるようになった。
つまり本来の意味は「古い」ではない。特定の年に作られた、という意味である。そしてその年が良かったから価値がある。古さそのものではなく、作られた条件が価値の根拠だった。
この語がワインを離れ、ギターやジーンズ、家具、自動車といった分野に転用されていく。年月を経ていて品質の高いものを指す言葉になり、さらに転じて、単に古いものを指す用法も生まれた。
アンティークとの線引き
似た言葉にアンティークがある。こちらはラテン語で古いものを意味するアンティクウスに由来する。
アンティークには、しばしば100年という基準が挙げられる。根拠とされるのは1934年にアメリカで定められた通商関税法で、製造から100年を経過した美術品、工芸品、手工芸品に輸入関税を課さないと決められた。この基準がGATTやWTOでも採用されたことで、アンティークは100年以上のもの、という慣習が広まった。
ただし、これはあくまでアメリカの関税上の取り決めにすぎない。アンティークが生活に根付いているヨーロッパでは、年数による明確な定義はないとされる。大量生産でないこと、デザインの歴史が継承されていることのほうが重視され、100年経っていないものもアンティークと呼ばれる。
そしてヴィンテージのほうには、そもそも明確な定義がない。一般には製造から20年から30年以上を経た良質なものを指すとされるが、線引きは曖昧なままである。
面白いのは、アンティークが100年と定義されたことによって、それ未満のものを指す言葉が必要になったという指摘だ。100年に満たなければ、ただの中古品になってしまう。そこで、100年経っていなくても価値のあるものを区別するために、ヴィンテージという語が使われるようになったという見方がある。
つまりこの言葉は、価値を主張するために必要とされた言葉でもある。
なぜ古いものが高くなるのか
では、実際に何が価値を生んでいるのか。いくつかの要素が重なっている。
一つは、単純な希少性だ。作られてから時間が経つほど、残存数は減る。消耗品であればなおさらで、実際に使われていたものほど残らない。
二つ目が、再現不可能性である。当時使われていた織機や、当時の規格の部材、当時の染料。生産設備が失われ、素材が手に入らなくなれば、同じものは二度と作れない。技術が進歩しても、この種の「もう作れない」は解消されない。
三つ目が、証明としての痕跡だ。使い込まれた形跡は、その物が実際にその時代を通過したことの証拠になる。新品同様のものより、使用感のあるもののほうが評価される場合があるのは、この観点による。
そして四つ目に、文脈がある。ある時代の物が、その時代の文化や人物と結びついて記憶されている場合、物はその記憶を呼び出す装置になる。物そのものの機能ではなく、それが指し示す先に価値が置かれる。
言葉が価値を作る
ここで、前に書いた話に繋がる。
革の分野では、擦れた部分に下地の色が現れる現象が茶芯と呼ばれ、価値のあるものとして扱われている。デニムにも、ヒゲ、ハチノス、縦落ちといった言葉がある。いずれも、経年による変化を指す呼び名だ。
重要なのは、現象そのものは名前がつく前から存在していたということである。革は昔から擦れたし、デニムは昔から色落ちした。ただ、それは劣化として認識されていた。
名前がつくと、状況が変わる。名前があるものは、探せる。比較できる。良し悪しを語れる。つまり、名前がついた時点で、それは「見つけるべきもの」になる。
とくに1990年代の日本では、雑誌の影響力が非常に強かった。こうした呼び名が誌面で紹介されると、短期間のうちに広く共有され、価値基準として定着していった。悪意のある捏造というわけではない。ただ、言葉が普及した結果として、価値が事後的に立ち上がっていく過程があった。
そして、この過程にはもう一段の仕掛けがある。年代を特定するための手がかりが、そのまま価値の対象になっていくという構造だ。
デニムであれば、タブの表記、ステッチの本数、生地の耳の始末、そして腰に付く革のパッチ。革製品であれば、金具の刻印、内側のタグ、縫製の仕様。これらは本来、その製品の性能とは関係がない。着心地が変わるわけでも、丈夫になるわけでもない。ただ、仕様が時期によって変わるため、それを見れば製造年代を絞り込める。
つまり、鑑定の手がかりでしかなかったものである。ところが年代が価値と結びついている以上、年代を示す印もまた価値を持つことになる。ある時期の仕様であることが確認できれば、それだけで値がつく。
こうなると、順序が逆転してくる。物が良いから価値があるのではなく、価値のある年代のものだと証明できるから価値がある、という状態になる。そして証明の手段そのものが探され、比較され、値をつけられていく。価値が価値を生むループができあがる。
やがて、この印を再現した復刻品が作られ、印だけを模した偽物も現れる。何のための印だったのかが、途中で入れ替わっている。もともとは工場が製品を管理するための仕様差でしかなかったものが、最終的には価値の中心に置かれることになった。
時間は買えない
ここに、ヴィンテージという価値の本質があるように思う。
古いものが高いのは、古さが希少だからではない。時間だけは、金を出しても手に入らないからだ。素材は買えるし、技術は習得できるし、設備は導入できる。しかし、40年経過したという事実だけは、40年待つ以外に得る方法がない。
だからこそ、そこに市場が生まれる。時間を経たものを、時間を経ていない人が買う。買うことで、時間を手に入れたことにする。
そして当然、その需要に応える動きも出てくる。加工によって使用感を作る、変化しやすい素材をあえて選ぶ、経年変化の速度を設計する。前に書いたとおり、一年程度で茶色が現れるように作られた革も存在する。
これは偽物という話ではないと思う。時間そのものは売れないが、時間の見た目は作れる。そして買い手が求めているのが見た目のほうであれば、取引としては成立している。
ただ、区別はしておいたほうがいい。実際に時間が経過したものと、時間が経過したように見えるもの。どちらを選ぶかは好みだが、同じものではない。
使うことでしか得られないもの
最後に、身も蓋もないことを書いておきたい。
ヴィンテージ市場で取引されている物の多くは、かつて誰かが日常的に使っていたものである。作業着として、仕事道具として、日用品として。買った人は、それが将来価値を持つとは思っていなかったはずだ。
価値は、後から誰かが見出したものだ。使っていた本人は、ただ使っていただけである。
だとすれば、今手元にある物についても、同じことが言える。使い込まれた革製品が数十年後にどう評価されるかは分からないし、それを狙って使うこともできない。できるのは、使うことだけだ。
時間が価値になるという現象を眺めていると、結局そこに戻ってくる。時間は買えないが、過ごすことはできる。
◆【関連する記録】
(経年変化を指す言葉と、その実際について)
(経年変化を設計に織り込むという考え方について)
(使った時間が見た目になるという、革の性質について)
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著者:ツダイサオ(Tsuda Isao) 革で架空の遺物を再現するレザーアクセサリーブランド「StrangeArtifact」主宰。衣装・空間・3Dと領域を横断して世界観をかたちにするデザイナーであり、一般社団法人 日本スチームパンク協会の理事も務める。h.NAOTOやSheglitとのコラボレーション、各種メディアへの衣装提供など実績多数。


