アルチザン系の美学【なぜ黒と灰色なのか】

アルチザン系と呼ばれる領域の服や革製品は、色数が極端に少ない。黒、灰色、生成り、そのあたりに集中している。鮮やかな色を使うことはほとんどない。
これは地味を志向しているというより、色を足さないことで別のものを見せようとしている結果に見える。ここでは、ブランドの系譜を追うのではなく、色と素材の扱いという一点から、この領域の美学を整理してみたい。
アルチザン系とは
まず、言葉の整理から。
アルチザンはフランス語やイタリア語で職人を意味する。日本では、この語を冠して「アルチザン系」と呼ぶカテゴリが定着している。海外では artisanal、つまりアーティザナルという呼び方をされることが多い。
起点としてよく挙げられるのが、カルペディエムである。1994年、マウリツィオ・アルティエリがイタリアのペルージャで設立した。商品はすべて手作業で作られ、レザーを中心に展開していた。アルチザンの祖と呼ばれることも多い。
ブランド名はラテン語で、古代ローマの詩人ホラティウスの言葉に由来する。その日を摘め、今この瞬間を生きろ、という意味だ。
ほかに、キャロル・クリスチャン・ポエルやグイディといった名前が挙がる。グイディについては後で触れるが、もともとイタリアのタンナーであり、素材の側からこの領域に入ってきている。
共通しているのは、工業的な均一さを目指さないという点だ。手作業の痕跡を残し、素材そのものの表情を隠さず、経年変化を前提に設計する。そして色数を絞る。
以下では、この最後の点を入口にして考えていく。
色を足さない
まず、無彩色に寄せるという選択がある。
黒、灰色、そして染色前の生成りに近い色。これらはいずれも色相を持たないか、極めて弱い。前に書いたとおり、無彩色は他の色に干渉しない。だから、色が担うはずだった役割が空く。
その空いた場所に何が入るかというと、素材の質感と、形そのものである。革のシボ、繊維の詰まり方、縫い目の運び、面の張り。色が主張しないぶん、こうした要素が前に出てくる。
同じ黒でも、革の種類や仕上げが違えば、光の返り方が変わる。艶のある黒と、光を吸う黒は、並べれば明確に違う。色を一色に絞ることは、この差を見せるための条件でもある。
そして、無彩色は経年変化を隠さない。鮮やかな色は、褪せると全体の印象が変わってしまう。無彩色は、変化しても系統が変わらない。黒が浅くなっても、灰色に近づくだけで、別の色にはならない。
素材そのものを見せる
もう一つの傾向が、加工で覆い隠さないという方向である。
革の表面には、本来さまざまな痕跡がある。血筋、傷、シボの粗密、部位による厚みの差。これらは工業的な生産では欠点として扱われ、顔料で塗装して均一に見せることが多い。
対して、この領域では、そうした個体差を残す方向に振れる。染料で染めて素材の表情を透かせる、あるいは製品にしてから染める製品染めによって、縫い目や折れの部分に染めムラを生じさせる。均一さより、一枚ごとの違いを取る。
タンナーの側からブランドを立ち上げた例もある。イタリア・トスカーナ地方で1896年に創業したタンナー、コンチェリア・グイディ・エ・ロゼリーニ社は、2015年に自社名を冠したレザーブランドを始めている。素材そのものが価値の中心にある領域だということが、この動きにも表れている。
時間を先取りする
そして、この領域を特徴づけるのが、経年変化の扱いだ。
新品の状態を完成形とせず、使い込まれた状態を想定して設計する。あるいは、あらかじめ加工によってその状態を作っておく。オーバーダイ、ウォッシュ、意図的なムラ。手法はさまざまだが、方向は共通している。
興味深い例がある。真鍮のボタンにメッキを施し、使ううちにメッキが剥がれて下地の真鍮が現れるように作る、という手法だ。使えば使うほど下地が出てくる。
同じ発想を、メッキそのもので実現しているものもある。ダールブラックと呼ばれる黒メッキで、スチールの素材に厚めの銅メッキを施した上から、艶のない黒を重ねてある。塗装による光沢のある黒とは違い、金属に馴染んだ粉のようなマットな黒になる。そして使い込むうちに摩擦で表面が削れ、下地の銅色がかすかに覗いてくる。
これらは、前に書いた茶芯とまったく同じ構造である。表面に膜があり、擦れると削れて下地が現れる。素材が革か金属かの違いだけで、起きていることは同じだ。片方はヴィンテージの偶然から生まれ、もう片方は最初から設計されている。到達点が同じで、経路が逆になっている。
そして、この種の設計には代償もある。変化する素材を使うということは、その変化が周囲に影響しうるということでもあるからだ。ダールブラックの場合、明るい色の生地と組み合わせると、強い擦れによって色移りが起きることがあると注意が促されている。変化を取るか、安定を取るか。この二つは、多くの場合両立しない。
こうした設計には批判もあり得る。時間をかけて得られるはずのものを先取りしているとも言えるからだ。ただ、経年変化を価値として認めた時点で、それを設計対象とするのは自然な流れでもある。
手の痕跡を残す
もう一点、手作業の痕跡を残すという方向がある。
左右非対称なパターン、手縫いのステッチ、一点ごとに違う染めムラ。工業製品であれば排除される揺らぎを、あえて残す。
これは職人技の誇示というより、同じものが二つとないことを保証する装置として働いている。均一な製品は交換可能だが、揺らぎのある製品は交換できない。手元にあるその一点でなければならなくなる。
無彩色に寄せることとも、ここで繋がる。色が同じであれば、個体差は質感と形にしか現れない。そこに手の痕跡があると、差が見える形で残る。
灰芯と退廃
ここからは私見になる。
前に茶芯について書いたとき、灰芯という現象に触れた。クロム鞣しの工程で革が経るウェットブルーという青灰色の状態が芯に残り、表面が擦れると下から現れてくる。茶芯とまったく同じ機序で、下地の色が違うだけのものである。
この灰芯は、茶芯に比べて低く見られがちだ。茶色が出てくる変化には古い道具のような趣があるが、青灰色は地味で、価値が分かりにくいとされる。
しかし、そこに退廃という言葉を当ててみると、驚くほど機能する。
茶芯が向かうのは、懐古である。使い込まれた道具、時間を経た品物。温かみのある方向に着地する。対して灰芯は、温かくならない。冷たいまま沈んでいく。色が抜けていくのではなく、光を失っていく感じに近い。
これは、まさにアルチザン系が扱ってきた色調そのものではないかと思う。彩度を落とし、温度を下げ、艶を抑える。豊かになるのではなく、削がれていく方向に美しさを見る。
同じ現象で、下地の色が違うだけなのに、着地する場所が正反対になる。片方はアンティークになり、片方は退廃になる。もし灰芯を意図して見せる革があれば、この領域と非常に相性が良いはずだ。
削ぐという方向
こうして見ていくと、この領域の美学は一つの方向に整理できる気がする。
色を足さない。加工で隠さない。完成した状態を保とうとしない。均一に揃えない。どれも、何かを加える方向ではなく、削ぐ方向に働いている。
そして削いだ結果として残るものが、素材そのものと、時間の痕跡である。色を削れば質感が残り、均一さを削れば個体差が残り、新品の状態を保つことを諦めれば経年変化が残る。
黒と灰色に集中しているのは、その色が好まれているからというより、色を削った先にある色だからだろう。無彩色は、色を選んだ結果ではなく、色を選ばなかった結果として現れる。
◆【関連する記録】
(灰芯とは何か、下地が現れる仕組みについて)
(無彩色が他の色に干渉しない理由について)
(退廃を美とする感覚が、どこから来たかについて)
StrangeArtifactでは、こうした歴史や意匠をもとに、革製品をひとつひとつ手作りしています。 商品はこちらからご覧いただけます。
新作や制作の様子は、Instagramでも発信しています。よろしければご覧ください。

著者:ツダイサオ(Tsuda Isao) 革で架空の遺物を再現するレザーアクセサリーブランド「StrangeArtifact」主宰。衣装・空間・3Dと領域を横断して世界観をかたちにするデザイナーであり、一般社団法人 日本スチームパンク協会の理事も務める。h.NAOTOやSheglitとのコラボレーション、各種メディアへの衣装提供など実績多数。


