STRUMのバーニングダイと地中埋め革【火と土に預けるという方法】

革を燃やしながら染める。革を土に埋めて掘り出す。
どちらも、通常の製革工程からは大きく外れている。しかも結果を制御しきれない。それでもこの方法を採っているブランドがある。STRUMである。
ここでは、この二つの加工がどういうものかを確認したうえで、なぜこの手法がアルチザン系の美学と噛み合うのかを考え、最後にもう少し古い話に触れたい。
バーニングダイ【燃やしながら染める】
STRUMがバーニングダイと呼ぶ加工は、製品燃焼染めとも表記される。革を燃やしながら染色するという方法である。
特徴的なのは、革の段階ではなく製品になった状態で行う点だ。縫い上がった後に火を入れるため、部位によって色の入り方が変わる。色ブレ、色ムラ、シミが出る。均一にはならない。
そしてもう一つ、傷を隠すための顔料や色止め剤を使わない。染料だけで染め上げた素上げの状態で仕上げるため、革が元から持っていた血筋や傷跡も、そのまま表面に残る。
当然、初めのうちは色落ちする。淡い色のものと合わせる際は注意が要ると、ブランド側も明記している。
使用される革は、フルタンニン鞣しのジャパンカーフスキンや、白鞣しとベジタブルタンニン鞣しを組み合わせたカーフスキンなど、いずれも下地の素性がはっきりしたものが選ばれている。隠さない前提なので、隠す必要のない革を使うということだろう。
地中埋め革【四十日、土に置く】
もう一つが、地中埋め革である。HI-FLYERという名前が与えられている。
日本のカーフ牛革の原皮を国内でタンニン鞣しし、その下地を約四十日間、地中に埋める。雨、熱、微生物といった自然の力によって経年変化を起こした革を、掘り出してからオイルを入れながら仕上げていく。
オフィシャルのYouTubeで「土に埋めて38日」という企画として紹介されたものが元になっている。
工程として見れば、これは製革ではない。埋めている間、作り手にできることは何もない。土の中で何が起きているかを見ることもできない。
色止めをしないという一点
この二つに共通しているのは、制御を手放しているという点である。
焼けば、予測できないムラが出る。埋めれば、微生物と雨と熱がすることを待つしかない。作り手にできるのは、預けることと、頃合いを見て取り出すことだけだ。
そして色止めをしないという選択も、同じ系列にある。
多くのメーカーは、いかに色落ちしないかに労力を割いてきた。色移りは苦情に直結するし、品質管理の観点からも避けたい現象である。それを放棄するということは、工場を出た後の変化を、着る人の生活に委ねるということでもある。
出荷時点で製品が完成していない。この前提が、三つの手法すべてを貫いている。
なぜアルチザン系と噛み合うのか
ここからは私見になる。
アルチザン系と呼ばれる領域の美学は、削ぐ方向に働いている。色を足さない、加工で隠さない、完成した状態を保とうとしない、均一に揃えない。加える方向ではなく、失う方向に美を見る。
STRUMの手法は、この延長線上にある。
顔料を使わないことは、隠す手段を捨てることだ。血筋も傷も見えるようになる。均一な染めを諦めることは、品質管理上の安心を捨てることでもある。色止めをしないことは、その後の状態への責任を手放すことに近い。
どれも、何かを足して良くするのではなく、通常なら加えるはずのものを外している。
そして火と土に預けるという工程は、その最も極端な形だと思う。素材を損ないかねない場所に置く。焼きすぎれば革は炭になるし、埋め続ければ分解される。制御を手放すというより、失敗と隣り合わせの場所に一度渡している。
削ぐという方向を突き詰めていくと、最後には「作り込む」ことそのものを手放す地点に行き着く。そこに到達している例だと言える。
火と土に、人は何を見てきたか
そしてこの構造は、決して新しいものではない。
日本神話の火の神カグツチは、生まれた瞬間に母イザナミを焼き殺し、そのために父イザナギに首を斬られる。しかしその血からは石拆神や建御雷之男神が生まれ、遺体からは山を司る神々が現れた。滅ぼす力と生む力が、同じ神格の中に分かちがたく結びついている。
火は調理をし、暖を取り、陶器を焼き、鍛冶を可能にする。素材を別の素材に変える力そのものだ。同時に、扱いを誤れば家も財も命も奪う。カグツチが全国で火伏せの神として祀られてきたのは、この両面を鎮めるためだった。
北欧神話の炎の巨人スルトも、ラグナロクで世界を焼き尽くす。ただしラグナロクは終わりであると同時に、次の世界が始まる転換点でもある。
大地のほうは、性質が違う。イザナミは黄泉の国で変わり果て、生者を奪う存在になる。ギリシャ神話のガイアは、すべてを生む原初の大地でありながら、子を体内に閉じ込める。生む場所は、同時に閉じ込める場所でもある。
火が一瞬で変えるのに対し、土は時間をかける。埋めたものはしばらく見えなくなり、戻ってきたときには変質している。腐敗も、発酵も、化石化も、地中で起きることだ。
そして、どちらも人が制御できない力として描かれている。祀り、鎮め、機嫌を損ねないようにする。人が神に対して取ってきた態度は、要するに交渉である。制御できるなら、交渉は要らない。
四十日という線
こう考えると、四十日という期間の意味が見えてくる。
土の中に置き続ければ、革はいずれ分解される。腐敗と変容の境目のどこかで、引き上げなければならない。壊しかねない力に一度預けて、壊れる手前で戻す。
これは、火の神や大地の神が持っていた両義性そのものと言える。生む力と滅ぼす力が同じものであるなら、どこで手を引くかだけが、作り手に残された判断になる。
人は昔から、火と土に物を預けてきた。鉱石を炉に入れ、粘土を窯に入れ、種を地面に埋め、そして死者を土に返してきた。どれも、一度手放さなければ成立しない。握ったままでは、何も変わらないからだ。
合理性から言えば、革を焼くことも埋めることも、はるかに手間がかかり、歩留まりも悪い方法だろう。
それでもこの方法が選ばれているのは、預けた先から返ってきたものにしか宿らない何かがあると、どこかで知っているからではないかと思う。
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◆【関連する記録】
(削ぐという方向に働く美学について)
(ラグナロクと、終末のあとに来るものについて)
(色止めをしない革に、何が起きるのかについて)
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著者:ツダイサオ(Tsuda Isao) 革で架空の遺物を再現するレザーアクセサリーブランド「StrangeArtifact」主宰。衣装・空間・3Dと領域を横断して世界観をかたちにするデザイナーであり、一般社団法人 日本スチームパンク協会の理事も務める。h.NAOTOやSheglitとのコラボレーション、各種メディアへの衣装提供など実績多数。


