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黒という色の文化史【喪服から反抗まで】

8月25日
読了時間: 6分
黒い光沢のあるサテン生地が大きく波打って折り重なった、シンプルで高級感のある背景。

黒い服は、今では最も無難な選択だ。フォーマルでも、仕事でも、街着でも通用する。持っていない人はほとんどいないだろう。


しかしこの状態は、それほど古いものではない。かつて黒は染めるのが難しく、イメージも良くない色だった。それが高級な色になり、喪の色になり、やがて反抗の色になる。同じ一つの色が、これほど意味を変えた例は珍しい。



黒が嫌われていた時代

中世ヨーロッパにおいて、黒は積極的に選ばれる色ではなかった。


理由のひとつは技術的なものだ。濃く深い黒に染めるのは難しく、多くの場合、灰色がかった、あるいは褐色を帯びた不完全な黒にしかならなかった。鮮やかな赤や青が権力と富の色だった時代に、くすんだ黒は見劣りする。


そしてイメージの問題もあった。喪の色としては、白や黄色、黄褐色、スミレ色などが用いられていた。これらの色は当時あまり良い印象を持たれておらず、だからこそ喪に用いられたという事情がある。黒もその系列に置かれていた。


状況が変わるのは14世紀である。染色技術が向上し、鮮やかで深い黒に染められるようになった。すると黒は、それまでのネガティブな印象を離れ、上品な色の一つと見なされるようになる。



富を示す色になる【15世紀の転換】

技術が変われば、意味も変わった。


深い黒に染めるには、何度も染液に浸す必要がある。工程が増えれば、当然コストは上がる。つまり良質な黒は高価な色だった。16世紀初頭には、富を誇示することを好んだミラノの公爵やヴェネツィアの商人たちが、この色を好んで身につけている。派手な色ではなく、黒という選択で富を示すという逆説的な使い方だ。


決定的だったのは、15世紀半ばのブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)である。彼は先代である父の死を悼み、長く黒の喪服を着続けた。当時の上流階級におけるファッションリーダーであった彼の影響で、黒は格好良い色だという美意識が広まり、同時に黒い喪服が普及していく。


以後、黄褐色やスミレ色の喪服は姿を消し、黒が喪の色として定着していった。ただし、その定着は一様ではない。フランスでは19世紀初頭に至るまで、富裕層を中心に白と黒の縞模様や灰色、白いフリルのついた女性用喪服など、黒一色でない喪服も普通に着用されていた。黒い喪服が一般化する時期には、国や地域によってかなりの差がある。


イタリア人は、黒と黒を組み合わせる着方を最初に行ったとも言われる。同じ黒でも、素材の質感を変えれば違いが出る。色ではなく、質感の対比で差をつける発想である。



日本の黒【何度も染め重ねる】

日本にも、黒を追求してきた長い歴史がある。


京黒紋付染の起源は平安時代まで遡る。当時は墨を用いて染めていたため、黒の色は浅かった。現代につながる京黒染めが確立するのは、17世紀初頭のことである。


江戸時代に主流となったのが檳榔子染(びんろうじぞめ)だ。ビンロウというヤシ科の植物の実から抽出した染料を用いるが、いきなり黒く染めるのではない。まず紅や藍で下染めをしてから、その上に黒を重ねる。こうして得られる深い黒は、刀を通さないほど生地の強度が増すとも言われ、武士に愛用された。


明治に入り、紋付羽織袴が男性の第一礼装とされると、黒留袖や喪服も礼服として広く普及していく。1900年代初期の黒染めの最盛期には、五倍子、桃皮、檳榔子、鉄漿(おはぐろ)という4種類の天然染料を用い、18回以上も染めを重ねていたという。


染め重ねるほど深くなる。この事実は、洋の東西を問わず共通している。黒が高級な色であった理由は、結局のところ手間の量だった。



喪服からモードへ【1926年の転換】

20世紀に入り、黒はもう一度意味を変える。


1926年、ココ・シャネルがシンプルな黒一色のドレスを発表した。それまで黒一色の服といえば喪服という認識が支配的で、ヴィクトリア朝時代には大量に作られていた。そこへ、装飾を抑えた黒のドレスを日常のモードとして提示したのである。


同年10月1日号のアメリカ版ヴォーグは、これをリトル・ブラック・ドレスとして大きく紹介し、黒い車体の大衆車フォードになぞらえて、まもなく世界中で量産されるだろうと評した。


背景には、機能性という視点があった。黒いドレスは汚れが目立たず、合わせるアクセサリー次第で表情を変えられる。1929年の大恐慌による質素倹約の時代が、逆に追い風となって定着していった。


ここで起きたのは、意味の剥離である。黒から喪という文脈が外れ、色そのものが残った。そして残った色に、洗練という新しい意味が入った。



反抗の色へ

もう一つの転換が、20世紀後半に起きる。


黒い革のジャケット、黒いデニム、黒いTシャツ。ロックとパンクの文化において、黒は既存の秩序に対する拒否の色として機能した。フォーマルの色であり、喪の色であり、抑制の色であった黒が、そのまま反転して使われた。


これは偶然ではないと思われる。黒はもともと、他の色との協調を拒む色である。混ざらず、目立たず、しかし譲らない。華やかさで対抗するのではなく、色を拒否することで態度を示す。抵抗の記号として、これほど適した色は少ない。


そして興味深いのは、この反抗の色が、再びフォーマルと共存していることだ。同じ黒いジャケットが、場面によって礼儀にも反抗にもなる。色そのものは何も語らず、文脈が意味を決めている。



何も主張しないことの強さ

黒が長く使われ続けている理由は、突き詰めれば無彩色であることに行き着く。


黒には色相がない。赤や青のように、それ自体が特定の印象を持ち込むことがない。だから何と組み合わせても、相手の色を邪魔しない。同時に、面としての存在感は最も強い。何も主張しないのに、確実にそこにある。


装身具の分野で黒がよく用いられるのも、この性質による部分が大きい。金属の輝きも、石の色も、黒を背景にすれば最もはっきり見える。黒は主役を引き受けることも、背景に回ることもできる。


作り手として販売してきた実感を言えば、黒はほとんどの場面で選ばれる色だ。他の色と迷った末に黒に落ち着く人も多い。それは無難だからというより、黒が失敗しない色だと、多くの人が経験的に知っているからだろう。


染めるのに最も手間がかかり、最も嫌われ、最も高価になり、喪の色になり、洗練の色になり、反抗の色になった。これだけ意味を変えてきた色が、最後には何も主張しない色として残っている。黒の歴史は、そういう順序で進んできた。



◆【関連する記録】


(黒が喪の色として制度化された時代の装身具について)


(黒を基調とする美学が、どのように成立したかについて)


(黒い革が反抗の記号になっていく経緯)



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ストレンジアーティファクト主宰ツダイサオの近影写真、シルクハットをかぶりメガネをかけている。

著者:ツダイサオ(Tsuda Isao) 革で架空の遺物を再現するレザーアクセサリーブランド「StrangeArtifact」主宰。衣装・空間・3Dと領域を横断して世界観をかたちにするデザイナーであり、一般社団法人 日本スチームパンク協会の理事も務める。h.NAOTOやSheglitとのコラボレーション、各種メディアへの衣装提供など実績多数。





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