日本の妖怪と付喪神【物に宿る魂】

長く使われた道具に、魂が宿る。日本ではその考え方に「付喪神(つくもがみ)」という名前がついている。一つ目の唐傘が跳ね、破れた提灯が口を裂いて笑う。ああした図像の系譜をたどっていくと、室町時代の一巻の絵巻に行き着く。
物に物語が宿るという感覚は、現代の日本人にもどこかで残っている。使い込んだ道具を簡単には捨てられない。壊れた人形をゴミ袋に入れることをためらう。その感覚がどこから来たのかを、文献をたどって整理していく。
付喪神という言葉の出どころ【室町時代の絵巻】
「付喪神」という漢字表記が確認できる最も古い例は、室町時代に成立した御伽草子系の絵巻『付喪神絵巻』である。この絵巻の冒頭には、次のような一文が置かれている。
陰陽雑記云、器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すといへり
器物は百年を経ると精霊を得て、人の心を惑わすようになる。それを付喪神と呼ぶ、という定義だ。今日「古い道具の妖怪」を付喪神と総称しているのは、この一文がほぼ唯一の出発点になっている。
ただし、ここには注意すべき点がある。典拠として挙げられている『陰陽雑記』という書物は、実在が確認されていない。つまりこの絵巻は、存在しない(あるいは確認できない)書物を引くという体裁で、自らの定義を権威づけていることになる。付喪神という観念そのものの出所は、実のところ判然としていないのだ。
「つくも」という読みについては、同じ絵巻の詞書に「百年に一年たらぬ」とあることから、九十九(つくも)を指すと解釈されている。さらに『伊勢物語』第六十三段の和歌に出てくる、老女の白髪をあらわす「つくも髪」という言葉を受けて、長い年月そのものを示しているとも読まれる。数として厳密な百年ではなく、「ほとんど百年」という時間の積もりを表す語だった。
捨てられた道具たちの反乱
『付喪神絵巻』が語る物語自体は、意外なほど筋立てがはっきりしている。
舞台は康保のころ(964年から968年)。人々は付喪神の災いを避けるため、立春を前にした煤払い(すすはらい)の日に、古くなった道具を路地に捨てていた。百年に一年足りないうちに手放してしまえば、化ける前に厄を逃れられるという理屈である。
捨てられた器物たちは、長年仕えてきたのに粗末に扱われたことに腹を立て、節分の夜に妖怪へと変じて一揆を起こす。人を襲い、享楽を尽くす。しかし最終的には護法童子や尊勝陀羅尼といった密教の法力によって調伏され、悪行を悔いて出家し、仏道に入る。
この絵巻には『非情成仏絵巻』という別の題もある。非情、つまり心を持たないとされるもの(草木や器物)でさえ成仏できるという教えを、物語のかたちで説いた作品なのだ。付喪神の物語は、もともと怪談としてよりも、仏教の教義を伝える器として作られていたことになる。
背景として、室町時代は産業や流通が発達し、それ以前に比べて物の消費が飛躍的に活発になった時代だという見方がある。物が増え、捨てられる物も増えた時代に、捨てられた道具が怒って戻ってくる話が語られた。そう考えると、この物語は当時の生活実感にかなり近いところから生まれたのかもしれない。
名前のない妖怪たちの行列
付喪神の図像を語るうえで外せないのが、『百鬼夜行絵巻』である。大徳寺真珠庵に伝わる一本(伝・土佐光信、16世紀ごろ)がよく知られており、以後さまざまな模本が描かれた。
ここには、琵琶や琴、鍋釜、五徳、傘といった器物が、手足や顔を持って列をなす姿が描かれている。ただしこの絵巻には、一体ずつの名前も由来も書かれていない。ただ、正体不明の器物の怪が行進しているだけだ。
つまり日本の器物妖怪は、まず絵として存在し、名前は後から与えられた。この順序が、次の時代に決定的な意味を持つことになる。
石燕が名前を与えた【江戸の創作としての妖怪】
天明4年(1784年)、浮世絵師の鳥山石燕が『百器徒然袋』(画図百器徒然袋)を刊行する。『画図百鬼夜行』に始まる石燕の妖怪画集シリーズの最終作で、その名のとおり器物の妖怪、すなわち付喪神を中心に構成されている。
石燕は、百鬼夜行絵巻に描かれた名もなき怪たちを下敷きにしながら、『徒然草』や漢籍から着想を得て、それぞれに名前と由来を与えた。捨てられた三味線が化けた「三味長老(しゃみちょうろう)」、ぼろぼろの布団の妖怪「暮露暮露団(ぼろぼろとん)」、古い鏡が化けた「雲外鏡(うんがいきょう)」。今日、名前で呼べる器物妖怪の多くは、この時点で生まれている。
重要なのは、石燕がそれを隠していないことだ。解説文のほとんどが「夢のうちにおもひぬ」という言葉で終わっており、これらが伝承の記録ではなく自身の空想であることを、書き手自身が示している。
ここで妖怪の位置づけが変わる。恐れ、避け、祓う対象だったものが、名前をつけ、由来を考え、楽しむ対象になる。江戸中期には、妖怪はすでにフィクションとして享受されるものになっていた。
供養というかたちで残ったもの
一方で、物に対する感覚そのものは、恐怖から感謝へ形を変えて生き延びた。その代表が供養の習俗である。
針供養は、折れたり曲がったりして使えなくなった縫い針を、豆腐やこんにゃくに刺して納める行事だ。地域によって2月8日または12月8日に行われる。硬いものを刺し続けてきた針を、最後は柔らかいものに休ませるという発想がそこにある。針仕事が生活と直結していた時代、針は単なる消耗品ではなく、人生の一部のような道具だった。
人形供養も同じ系譜にある。人形やぬいぐるみを、ただ廃棄するのではなく、寺社で儀式を経てから手放す。日本各地の寺院に古い由緒を持つものがあり、全国的に広く行われるようになったのは戦後だとされている。
付喪神の物語では、道具は捨てられたことに怒って化けた。供養の習俗では、道具は感謝を受けて送り出される。裏返しのようでいて、どちらも「道具はただの物ではない」という同じ前提の上に立っている。
時間が物を変えるという感覚
付喪神という発想の核心は、突き詰めれば「時間」だ。
護符やお守りのように、作られた瞬間に力を込められる物とは、成り立ちが違う。護符は最初から特別な物として作られるが、付喪神は日常の道具が、使われ続けた年月そのものによって別の存在に変わる。力の源は素材でも儀礼でもなく、経過した時間と、そこに積もった人との関わりである。
異界の存在という点ではケルトの妖精とも比較されるが、性質は異なる。妖精はもともと異界に属する住人であり、人間の世界に立ち入ってくる存在だ。付喪神は逆で、完全にこちら側の、台所や納戸にある物が、時間をかけて向こう側へ移っていく。境界を越えるのが、あくまで身の回りの道具である点が特徴的だと言える。
だからこそ、この感覚は現代でも実感として残るのだろう。革製品が使い込むほどに色を深め、手の形に馴染んでいくとき、そこで起きているのは物理的な変化でしかない。しかし、使った年月がその物の見た目そのものになるという現象は、付喪神の物語が語っていたことと、どこかで地続きだ。
百年を経ないと魂が宿らないのだとすれば、日々使っている道具はまだ何者でもない。ただ、いつか何かになるかもしれないものとして、手元にある。付喪神という言葉は、そういう時間の見方を残してくれた言葉でもある。
◆【関連する記録】
(物に力が宿るという発想を、西洋の系譜からたどった記事)
(異界の存在と人との距離感を、妖怪と比較して読める記事)
(時間の経過が素材そのものを変えていく仕組みについて)
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著者:ツダイサオ(Tsuda Isao) 革で架空の遺物を再現するレザーアクセサリーブランド「StrangeArtifact」主宰。衣装・空間・3Dと領域を横断して世界観をかたちにするデザイナーであり、一般社団法人 日本スチームパンク協会の理事も務める。h.NAOTOやSheglitとのコラボレーション、各種メディアへの衣装提供など実績多数。


