耳飾りの世界史【ピアスの起源】
- 8月1日
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「新しい」と思われがちな、古い装身具
ピアスと聞くと、比較的新しい、若者文化的なアクセサリーというイメージを持つ人も多いかもしれない。しかし実際には、ピアスは人類の装身具の中でも、もっとも古い歴史を持つものの一つだ。
1991年、オーストリアとイタリアの国境の山岳地帯で発見された、5000年以上前のミイラ「アイスマン」。その耳たぶには、直径7〜10ミリほどの穴が開いていた。木や骨、あるいは金属で作られた耳栓を通していたと考えられている。ピアスの歴史は、私たちが想像するよりもずっと古くから始まっていたのだ。
侵入を防ぐための、耳飾り
なぜ、人類はこれほど早い時期から、耳に穴を開けて何かを通していたのだろうか。
装身具の民族学的な研究では、耳飾りや鼻飾り、首飾りといった装身具の多くが、もともと「護身用の呪具」として生まれたと考えられている。古代・原始的な社会では、病気や怪我、死といった災いは、悪霊が人体に侵入することで起こると考えられていた。そのため、悪霊の侵入口とみなされた人体の穴、すなわち耳や鼻、首といった部分に、侵入を防ぐための護符を身につけたのだ。
耳飾りは、単なる装飾ではなく、まず何よりも「守るための道具」として生まれた。この発想は、これまで見てきた護符や印章の歴史とも、深く重なり合っている。
権力者の耳を飾った、貴金属
古代エジプトやインダス文明において、ピアスは高度な金工技術によって作られた。環状の金属製の耳飾りが一般的で、これが後のピアスの原型になったとされる。
やがて時代が下ると、耳飾りは権力と富を示す道具へと変化していく。古代エジプトの権力者たちは、自らの富と権力を誇示するため、高級な宝石をあしらったピアスを身につけた。アッシリアの粘土板や古代エジプトのパピルスにも、こうした耳飾りについての記述が残されている。
興味深いのは、ピアスが長らく、男女を問わず身につけられていたという点だ。古代ペルシアの遺跡からは、ピアスを着けた男性の遺骨も発見されている。宗教儀式の一環として、少年の耳にピアス穴を開ける習慣もあったとされ、耳を飾るという行為が、男性にとっても特別な意味を持つ通過儀礼だった時代があったことがわかる。
イヤリングは、意外と新しい
ピアスが数千年の歴史を持つのに対し、耳に穴を開けずに着ける「イヤリング」の歴史が始まるのは、17世紀頃とされている。
ピアスに比べれば、イヤリングはずっと新しい発明なのだ。クリップやネジで留められるという手軽さに加え、20世紀のアメリカで理想とされた、優雅で慎ましい女性像にふさわしいアイテムとして、イヤリングは女性を中心に人気を広げていった。「耳飾りといえばイヤリングの方が古そう」という印象を持つ人は多いかもしれないが、歴史をひもとくと、実際にはまったく逆なのだ。
ロックとピアス【再び男性の耳へ】
数千年の間、権力者や貴族の装身具として扱われてきたピアスは、中世を経て一度その人気を落とすことになる。しかし20世紀後半、ロックやパンクといったカウンターカルチャーの中で、ピアスは再び男性の耳に戻ってきた。
反骨の象徴としての革やスタッズと同じように(革とロックの関係については「ライダースジャケットと革の文化史」で扱っている)、ピアスもまた、既存の社会規範への異議として、ロックやパンクのミュージシャンたちに身につけられていった。古代において通過儀礼や護符として男性の耳を飾っていたピアスが、まったく異なる文脈で、再び自己表現の手段として選ばれるようになったのは、興味深い符合だ。
耳もとに宿る、長い歴史
護符として生まれ、権力の象徴となり、一度は廃れ、そして反骨の記号として蘇る。耳飾りの歴史は、装身具というものがいかに多様な意味を託されてきたかを、鮮やかに物語っている。
小さな一つの穴に、これほど長く豊かな物語が宿っていることを、身につける人はどれだけ知っているだろうか。
◆【関連する記録】
(耳飾りが本来担っていた、護符としての役割)
(ピアスと同じく、ロックの反骨精神と結びついた装いの歴史)
(同じくパンクの文脈で再定義された、身を飾る意匠)
StrangeArtifactでは、こうした歴史や意匠をもとに、革製品をひとつひとつ手作りしています。 商品はこちらからご覧いただけます。
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著者:ツダイサオ(Tsuda Isao) 革で架空の遺物を再現するレザーアクセサリーブランド「StrangeArtifact」主宰。衣装・空間・3Dと領域を横断して世界観をかたちにするデザイナーであり、一般社団法人 日本スチームパンク協会の理事も務める。h.NAOTOやSheglitとのコラボレーション、各種メディアへの衣装提供など実績多数。


